去年の暮に細君の親戚のひとりが亡くなり空き家となっているため、その家の片付けの手伝いをしに行く。
その家は駅も近い住宅地の狭い敷地にある3階建てであるが、玄関の扉を開けるや、物の多さに圧倒される。
日常生活に必要な家電製品、家財道具は当然であるが、大画面の液晶テレビや全身を映すほどの鏡がなぜか複数台、どこぞの土産物らしき人形や置き物、謎の装飾品、調度品、衣類、アクセサリー、それに仏壇、着物も多数仕舞われてあるらしい。
これらの主人なき品々の数々は、いずれ業者に依頼し本格的に片付けてもらう必要はあるが、それまでに少しでも身内で整理できることはしておこうとの考えから細君はすでに何度も通っている。

子供のいない人だったらしく、身寄りは親戚だけとなるため、残された資産はさほどなくとも、家は放置するわけにはいかず、そう近い血筋でなくともどうにかせねばならない問題である。われわれはまだ何とかしようとしているが、何ともなされずに放置された空き家が全国にごまんとあるのであろう。現代日本の社会問題はこんな身近に迫っていた。
今回は完全な当事者ではないが、いずれ自分の実家でもそう遠くない将来直面する問題であろう。
そう、実家の問題と自身の老後と大地震は確実にやってくる未来なのである。予想できる不安には先手を打つべきなのであろうが。
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嘗て、未来を想起させる音楽はたとえばこんなだったか。
彼のキャリアのほとんどは睡眠音楽であるかもしれないが、初期の数年のとんがりぶりは半端ない。この曲はバウハウスのカバーではじめて知ったと思うが、この疾走感は彼らにも負けていない。
数年前に京都でブライアンイーノの展覧会なるものがあったが、こちらは睡眠効果抜群そうな気配であったため迷った挙句、ついに訪れることはなかった。